「”そろえる”とか”ととのえる”とかいうのは、いったいなんのことだ? それは、音楽をするうえで必要なことなのか?」
——リサーワ・サクラニツカヤ
![]() 1912年ごろ、 モスクワ音楽院にて。 |
サクラニツカヤはとかく謎の多い人物です。そもそも出自からしてはっきりしない点が多く、わかっているのは母親のウィシーナがポーランド系ロシア人であることぐらいです。彼女の名前が最初に登場するのは1911年で、これが最古の演奏会の記録です。チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を弾いて華々しくロシアデビューを飾った彼女ですが、これはリハーサル中に失神したピアニストの代理だったそうです。あまりにもできすぎな展開で、講談社だか集英社あたりに持ち込んだら即ボツを食らいそうです。
要はいきなり出てきたよくわからない若者がいきなり名声を勝ち取ってしまったわけですが、それ以前はいったいどこで何をしていたのかもわかりませんし、どこで生まれたのかもよくわかりません。
彼女の演奏にも国籍のはっきりしないようなところがあり、たとえば彼女のショパンはポーランド系にしては郷愁といったものを感じませんし、ロシア人にしては芝居がかかった雰囲気というか独特のねばっこさがありません。また、ピアノ演奏を師事した相手についてもいまだに明らかになっておらず、G.ネイガウスに師事したということがずっと言われていますが、ネイガウス・スクールどころかモスクワ音楽院に在籍していた記録自体が存在しませんし、証言の類いもありません。ローゼンタールやコチャルスキに師事したという説もありますが、こちらはもっと信憑性が薄い、単なる憶測の域でしょう。母親のウィシーナもピアニストだったそうなので、まあ母親に教わったというのが最もありえそうなところでしょうか。
かくいう母ウィシーナも眉唾な噂があり、ショパンやリストにピアノを習ったとかいうことが言われています。これに関しては本人が言っていたことらしいのですが、こちらもやはりショパンやリストにそういう弟子がいたという証言は皆無です。娘の方も晩年は「ショパンとリストに習った」などと物理的にありえない虚言をうわごとのように漏らしていたそうですが、もしかするとこの虚言癖は母親譲りだったのかもしれません。
ところで、サクラニツカヤは写真がほとんど残っていないということをご存じでしょうか。じゃあ上の方にあるこれはなんなんだ、という話なのですが、そうなのです。実はここに掲載している写真、というか世に出回っているほとんどの写真はまったくの別人なのです。そもそものことのおこりは2010年でした。ロシアのピアニストを研究しているウラディーミル・メドジェーエフ氏が「サクラニツカヤ本人とされてきた人物はすべて別人である」という結論を出し、その後何人かの別の研究者によって同じ結論が出されました。
しかしながら、まったくの赤の他人というわけではありません。「サクラニツカヤとされてきた」彼女の名前は不明ですが、研究者によればサクラニツカヤの親戚筋とのことですし、本物の彼女と会ったことのある人々も「非常によく似ている。間違えてもおかしくない」と証言しています。
で、じゃあなんで別人の写真が今もジャケットに登場していたりするのかっていう話なんですが、これはきわめて簡単な話で、単純にその方がcdが売れるからです。本人の写真が残っていないのでとりあえずなんか載せとけというのもありますが、サクラニツカヤ似の彼女があまりにも容姿端麗なのでジャケ買いしてしまう人が多いみたいなのですね。たしかに私の目から見ても映画に出てきそうな見てくれをしていますし、衝動買いしてしまっても無理はないと思います。