リサーヴァ(リサーワ)・サクラニツカヤ(1893-1977)といえば、知る人ぞ知るソヴィエト連邦の伝説的女流ピアニストである。生前は首都モスクワを中心に絶大な人気を誇ったが、商業録音をほとんど残さなかったため、死後は急速に忘れ去られた。もともと国外での演奏の少なかったこともあり、生前から国外ではほとんど無名の人であった。しかし21世紀に入ると、多くの実況録音が発掘され、またウィリアム・バリントン=クーペによる「ジョイス・ハットー事件」も手伝って、にわかに再評価の機運が高まった。とはいえ、これまで彼女の録音は露ヴィスタ・ヴェーラや英APRなどのレーベルから散発的にリリースされるにとどまっていたが、このたびスクリベンダムが没後40年を記念して彼女の録音を集成し、未発表録音も含めての40枚組という圧倒的なヴォリュームのboxをリリースした。40枚組というあまりに法外な威力に恐れをなして一時は購入をためらった。だが、ここで逃してしまえば次はいつ手に入るかわからない。むこう1年間はモヤシ生活を覚悟で購入に踏み切った。ということで、つたない文章ではあるものの、ゆっくりとレヴューをしたためていきたいと思う。
CD1-2:1965年11月の演奏会 バラキレフ、バーバー、ヒナステラ、プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ | |
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(1)東洋的幻想曲『イスラメイ』 7:06
ピアノ・ソナタ 変ホ短調 op.26 18:25
ピアノ・ソナタ 第1番 op.22 15:33
ピアノ・ソナタ Sz.80 12:00
ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 op.83 17:19
(19)『ルーマニア・ジプシー幻想曲』 11:03 1965年11月25日、モスクワ音楽院大ホール |
まずはこれらの曲を最初に持ってきてくれたスクリベンダムの勇気ある判断に敬意を表したい。ボックスものといったら普通は無難にベートーヴェンとかショパンのような大衆受けのよい作曲家が冒頭に配置されるものだが、このボックスはあえてその定石の正反対を往く。すでにこの時点でレーベルの今回の復刻にかける熱意がわかるというものだろう。わざわざ
現代系の曲を最初に配した理由は言うまでもない。こういった現代音楽の「野蛮な」リズムはサクラニツカヤの荒々しい気性と非常に相性がよく、最も彼女の本質を如実に表した演奏だからである。 まずしょっぱなの『イスラメイ』からドカンと後頭部に一発おみまいされる。序奏のヒステリックなまでのキレを聴くだけでも、彼女がただものでないことは誰の耳にも明らかだ。緩徐部をあっさり弾き飛ばすのはいけ好かないが、メカニックは最強の部類。フィナーレには手が加えられていて、より鮮烈な印象を残す(ホロヴィッツ版と同一の改変に聞こえる)。この曲で最強の演奏といえば一般的にはガヴリーロフが筆頭に挙げられるが、あのガヴリーロフでさえここまで無茶はしていなかった。 続く5曲のソナタも言うまでもなく同傾向で、どの曲も終楽章の追い込みがすさまじい。特にバーバーとヒナステラのソナタはとんでもない難曲のはずなのだが、彼女が弾くとまったくそう聞こえないから不思議なものである。ただ、後半のプロコフィエフに関しては、興が乗ってきたのかしらないが、いよいよ混沌をきわめている。私は大丈夫だったが、こういう雪崩のような演奏は、人によっては聞くに堪えないだろうと思う。 プロコフィエフの後には珍しいシフラ作曲作品(編曲ではない)の『ルーマニア・ジプシー幻想曲』を弾いた。これで終わりか、と思いきや、また騒音みたいなアンコールが始まった。これだけ弾いておいてまだやるのか。まったく飽きない人である。曲目は少し珍しいシフラの編曲ものだが、やはりとにかく難しいことで有名。どう考えてもアンコールで弾く曲ではないだろう。どこにそんな体力を隠し持っていたのか。ここまでされると、彼女が女性であることさえも疑わしく思えてきてしまう。 |
CD3:サクラニツカヤ・イン・イタリー バッハ&ベートーヴェン:協奏的作品集 | |
ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調 BWV1050 19:14
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 op.73『皇帝』 35:14
イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971 マキシム・ショスタコーヴィチ(cond)、RAIミラノ交響楽団 (1)-(6) |
珍しいバッハのレパートリーである。どちらかというと私は彼女の演奏について好ましく思っているが、さすがにバッハでもいつものように弾かれるとたまったものではないと思っていた。しかし、それは半分は杞憂であった。最初のブランデンブルクは至極まっとうな演奏。肩透かしを食らった気分である。彼女のバッハのレパートリーはここに入っている曲がすべてのようだが、これなら他の曲も聴いてみたいと思った。 続くベートーヴェンもなかなかまとも。だが、案の定というか、3楽章に入ると一気にギアを上げて爆速で駆け抜ける。8分57秒。この曲でここまでやったピアニストは珍しい。雑な演奏と言われればたしかに否定できないのだが、雑な演奏もここまで振り切ってしまえば大したものである。。 アンコールはバッハを2曲弾いた。イタリア協奏曲はやたら高速であるものの、グールドという前例があるのでそこまで気にならない。この調子で次の平均律も穏当に終わるだろう。そう思ってすっかり油断していた。だが私は次の瞬間腰を抜かすことになる。 なんだこれは。最初の1秒で目を回すかと思った。いったいこれは、誰の曲だ。無意識にライナーノーツを手に取り確認する。バッハである。もういちど見る。平均律である。何度見てもバッハの平均律である。だが、こんな平均律はちょっと聞いたことがない。機関銃のリズムである。指は動いているが、速すぎて曲の原形をとどめていない。言われなきゃこれが平均律だなんてわからないと思う。いや、私は言われてもわからない。 サクラニツカヤは、おそらく生涯バッハを理解できなかったにちがいない。ピアニストがレパートリーを制限するのには、ちゃんと理由がある。それをまざまざと思い知らされた1枚だった。 |
CD4:1966年3月の演奏会 プロコフィエフ、ラフマニノフ、バーバー:ピアノ協奏曲 | |
ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調 op.10 16:08
ピアノ協奏曲第4番 ト短調 op.40 25:42
ピアノ協奏曲 op.38 27:23 (8)前奏曲 ト短調 op.23-5 3:42 (3:19) ヴィクトル・ドゥブロフスキー(cond)、ソヴィエト国立交響楽団 (1)-(6) |
例によってプロコフィエフはやたら活きのよい演奏だが、それでも比較的おとなしめの部類。ラフマニノフは今日であっても頻繁には出現しない曲だが、こちらもあまり暴れていない。最大の問題は後に続くバーバーである。バーバーにしても2楽章まではわりと中庸な演奏が続くのだが、3楽章が問題で、フィナーレの部分にさしかかるとなにやら聞きなれないフレーズが登場する。ライナーノーツによれば「改定前の初版のスコアを使用」しているらしい。この曲の初版といえば、あのホロヴィッツやブラウニングをもってして(指定テンポでは)演奏不可能といわしめた曲である。誰にも弾けなかったので作曲者自身が改訂したのだが、もちろん彼女以外で改訂前の楽譜を使っているのは見たことがない。アンチには「速弾きだけが取り柄の単細胞」と評される彼女だが、単細胞もここまでくれば立派ではないか? なお、アンコールのラフマニノフもやたら速いが、バーバーに比べればまだ普通の演奏。バーバーがすごすぎて他が霞んでしまう。 |
CD5:1964年3月の演奏会 バルトーク:ピアノ協奏曲 | |
ピアノ協奏曲第2番 Sz.95 28:56
『版画』 キリル・コンドラシン(cond)、ソヴィエト国立交響楽団 (1)-(6) |
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CD6:1957年11月の演奏会 ガーシュイン&ショスタコーヴィチ:協奏的作品集 | |
(1)『ラプソディー・イン・ブルー』(ガーシュイン=グローフェ)16:37
ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 op.102 15:51 アレクサンドル・ガウク(cond)、モスクワ放送交響楽団 (1)-(8) |
最初のガーシュインは彼女にしては普通の演奏。ピアノそれ自体に変なところはないのだが、中間部が軍隊行進曲みたいにやたら速くて尖っていたり、フィナーレで楽譜の指示にないシンバルが炸裂していたりするのは少し気になる(指揮者ではなくサクラニツカヤの指示らしい。わがままなソリストである)。また、冒頭のクラリネットソロが思い切り音を外しているが、特に悪びれた様子もなく吹き続けている。クラリネットの演奏者の名前は載っていないのだが、こんな大きなミスをしても一切同様が見られないところを見るに、相当な「大物」なのだろう。 案の定というか、ショスタコが始まると徐々にピアノが熱を帯びてくる。それでも2番はまだまだ常識的な演奏だったが、1番になるとすっかり阿鼻叫喚の有様である。彼女の1番の演奏は作曲者本人が聴いて腰を抜かしたというウソだか本当だかよくわからない伝説があるが、そういった先入観を抜きにしてみてもたしかに過剰で過激。特に4楽章フィナーレのピアノソロの部分に来るとあまりにも荒れすぎて意味不明なことになっている。とはいえショスタコ本人の自作自演もおおむね同系統なのだけれども、彼女の演奏はそれにさらに技術と荒々しさを上乗せした感じ。 アンコールの前奏曲は、彼女にしては珍しく計算を感じる演奏。が、やたら速くて荒々しいことに変わりはない。おかしいな、この曲はもうすこし軽快な曲だった気がするのだが(気のせいかもしれない)、これは重戦車とか絨毯爆撃のような趣があって騒々しい。ショスタコの"笑える”フーガもここまで速く弾かれるとまったく笑えない。 |
CD7:サクラニツカヤ・イン・ロンドン1 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ | |
ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 op.27-2『幻想曲風ソナタ』/『月光』 13:23 1962年2月22日、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール |
以前英テスタメントから2枚組で発売されていた演奏会のうちの1枚目。おそらく彼女の演奏を初めて耳にしたであろうロンドンの聴衆にもまったく遠慮といったものがなく、最初の月光ソナタから派手に低音をかましている。セールスポイント的な一番の目玉はほとんど作曲者指定のテンポで演っている『ハンマークラヴィーア』なのだろうが、もとが穏やかな曲調であることもあって、やたら速いことをのぞけばそこまで暴れていない。 問題は最後の熱情ソナタで、彼女の演奏のなかでも指折りの怪演。低音が炸裂するのはもはや当たり前で、とにかく恣意的に動くテンポで途中から胸やけを起こしそうになってくる。特に3楽章はその傾向が顕著で、ここまで来ると単なる指のもつれなのかそれとも解釈なのかわからないレベル。聴いていて何度イスから転げ落ちそうになったかわからない。じっさい最後のあまりにも苛烈な追い込みのすえ、サクラニツカヤのピアノも転げ落ちるように終わる。あらゆる競合盤をなぎ倒して進む史上最凶の演奏である。ここまで自分勝手にやったのはバレンツェンぐらいのものだろう。 下の2枚目の演奏についてはあまりコメントすることがないが、しいて言うならヘンデル変奏曲がやたら熱っぽいことぐらいだろうか。私はあまりこの曲の良い聴き手ではないのだが、聴衆の熱狂的な拍手を聞くになんかすごい演奏らしい。 ちなみに、この2日間の演奏会は後日ロンドン・タイムズの演奏評でケチョンケチョンに酷評されたという(私はそこまで悪い演奏だとは思わないが)。 |
CD8:サクラニツカヤ・イン・ロンドン2 ベートーヴェン&ブラームス | |
ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 op.27-2『幻想曲風ソナタ』/『月光』 15:13
(7)『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』op.24 31:19 (31:08) 1962年2月23日、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール |
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CD9:1970年10月の演奏会 ベートーヴェン&ショパン:ピアノ・ソナタ | |
ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110 18:46
ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58 23:37 1970年10月10日、モスクワ音楽院大ホール |
冒頭2曲のベートーヴェンは普段の彼女からすれば考えられないような内省的なレパートリー。じっさい31番3楽章の終結部とか32番の1楽章はちょっと荒っぽいのだが、どちらも緩徐楽章は繊細に歌っていて、ベートーヴェンにある程度の共感を示しているようである。 続くショパンの第三ソナタも同傾向。1楽章はやはり荒っぽい。掲示部のリピートは省略。3楽章はロシア人らしからぬ速さ。この楽章はねっとりと粘る人が多いので、速いのは逆に好感が持てる。7分33秒というある種非常識ともいえる演奏時間であるが、不思議と聴いていて速さを感じないし、あっさりしたテンポに反して丁寧に弾かれているようだ。4楽章はいつも通り一気呵成の爆発交響曲の様相を呈する。とてもショパンとは思えない左手の轟音が炸裂しているが、ここまでくると定番ギャグの域に達しているのかもしれない。フィナーレの3つの和音をインテンポで弾いているのはいかにもサクラニツカヤらしい。 |
CD10-11:1970年1月の演奏会 ショパン:4つのバラード 他 | |
(1)バラード第1番 ト短調 op.23 8:11 (7:56) 1970年1月18日、モスクワ音楽院大ホール |
4つのバラードはおおもとの曲調が激しめなこともあってコーダでは相変わらず大爆発している。特に1番のコーダは後先考えずに突進する異常凶暴演奏。少々雑なところはあるが、4曲通して不自然なタメがないので全体的な流れは悪くない。続く舟歌は静謐な美意識を感じる名演。案の定終結部は激しい。冒頭の和音をアルペジョで処理しているのは少し気になる(ネイガウス派の影響ととることもできなくはない)。 幻想曲ではさすがに爆発はないだろうとタカをくくっていたのだが、やっぱり今回もだめだった。メチャメチャに速くて激しくて、なんか別の曲みたいになっている。爆演マニアには受けるのかもしれないけれど、興奮のあまり音を外しまくっているし、そもそも激しく鍵盤を叩くような曲ではないのでアプローチに失敗している気がする。 即興曲からノクターンまでの4曲はあっさりしたテンポ設定ながら要所々々でルバートしている。当たり前だが激しさとは無縁で、一服の清涼剤といった感じ。 最後のポロネーズ3曲がやっぱり問題の演奏で、たとえば最初の軍隊ポロネーズなんかはあまりにも速くて抒情もへったくれもない。威勢のよろしいのは嫌いではないが、ポロネーズのリズムをガン無視するのはちょっとどうかと思う。英雄ポロネーズは幸いポロネーズのリズムにはちゃんと気を配っていて、男性的な力強い演奏。最後の幻想ポロネーズではまたひと暴れ。緩徐部分のテンポが速いのは少し気に食わないが、コーダの加速と突進はホロヴィッツに肉薄する。というかホロヴィッツも真っ青である。 |
CD12-13:サクラニツカヤ・イン・ベルリン ショパン:ピアノとオーケストラのための作品集 | |
ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 op.21 27:36 ヘルマン・アーベントロート(cond)、ベルリン放送交響楽団 (1)-(8) |
以前Tahraから出ていた演奏。このcdのばあい曲目自体に変なところはないのだが、指揮者がアーベントロート(!)というところが最も重要である。55年といえば彼の死の前年である。まさか彼の指揮したショパンの録音があったとは。 とはいえ、アーベントロートの伴奏と同じぐらいサクラニツカヤのピアノも強気である。冒頭の第二コンチェルトは遅めのテンポが好まれる曲だが、どの楽章もかなり速めに演っていていつも通り熱っぽい。3楽章などは誰がどう見ても爆演の部類である。2番と1番の間に挟まれた作品13・14では普段のような粗雑さは見られず、わりあい丁寧に、情感たっぷりに弾いている。コンチェルト1番も溌剌としていて勢いのある演奏だが、2番に比べると落ち着きがある。2楽章の最後をあっさり弾き飛ばすのは、ネイガウス派の影響だろうか?(ゲンリヒ、スタニスラフ親子の二人に見られる弾き方である)。3楽章フィナーレの最後の音で勢いあまって隣の鍵盤を弾いてしまうのはいかにも彼女らしい。 |
CD14-15:1965年5月の演奏会 ショパン:25の練習曲&25の前奏曲 | |
24の練習曲 op.10 & 25 52:37 1965年5月11日、モスクワ音楽院大ホール |
24の練習曲と24の前奏曲をすべてライヴで演奏するというなかなかの無謀プログラム。エチュードの方は、10-1をはじめとする技巧的な曲はギリギリを攻めている感じがする。「別れの曲」や「黒鍵」では大時代的な崩しも見られる。また、10-6、10-11などの抒情的な曲で粘らずに弾いているのはなかなか感じがよい。「革命」は珍しく中庸のテンポで弾かれていて、比較的冷静な印象を受ける。ただ最後の強奏のタイミングが楽譜の指定より一音だけ早い。 作品25では「エオリアンハープ」がサクラニツカヤ演奏史上指折りの名演。陳腐な形容だが、音が「泣いて」いるのである(録音が古いだけでしょ、などというツッコミは野暮というものである)。三度のエチュードは1:42秒という恐ろしい爆速テンポで駆け抜けるが、技巧的な破綻は一切ない。ここまでやったのはアシュケナージぐらいのものではないか? 続く25-7も粘らない歌い方で魅せる。えぐり出すようなクレッシェンドが非常に巧い。「蝶々」はいつも通りの常識外れの爆速テンポだが、ラストの猛烈なアッチェランドには度肝を抜かれてしまった。53秒というわずかな時間でここまでやるのはちょっと感心してしまう。 最大の問題は木枯らしで、大爆発しているのはいつものことなのだが、勝手にオクターヴを上げたり下げたり、楽譜にない珍妙なフレーズを付け足してみたりとかなりやりたい放題。きわめつけは一オクターヴ下から始まるラストの半音階である。最後の大洋のエチュードはやはりというか、あまりにも興奮しすぎて色々どうでもよくなっているようだ。多分、本人もどこを弾いてるのかよくわかってないのだろう。なお、大洋の後に挿入される新練習曲変イ長調は打って変わってゆったりとしたテンポで弾いている。この曲はせかせかと弾くピアニストがほんとうに多いので、こういう演奏は好感が持てる。 後半の24の前奏曲はエチュードに比べるとかなり普通の演奏で、特に変なところもなくスムースに進むのだが、「雨だれ」だけ、なにやらようすがおかしい。恥も外聞もかなぐり捨ててテンポを揺らしまくりドロドロに歌いまくる演奏で、まったく彼女らしくない。そのあとは何事もなかったかのようにまた普通の演奏に戻る。 残りの曲では、強いて言うなら24番が個性的。とにかく破滅的な解釈で、短調の中にふっときらめく一瞬の明るさといったものはみじんも感じられない。そして最後は転げ落ちるように終わる。最後のD音の連打では地獄に突き落とされる心地がした。 最後にはおまけ程度に遺作の前奏曲を弾いて終っている。この曲も新練習曲と同じようにせかせかと弾かれることが多いのだが、やはり彼女はかなり遅めのテンポを取っていて面白い。 |
CD16-17:1965年10月の演奏会 ショパン:4つのスケルツォ、2つのピアノ・ソナタ 他 | |
(1)華麗なる変奏曲 変ロ長調 op12 7:35 1965年10月16日、モスクワ音楽院大ホール |
最初の曲は華麗なる変奏曲作品12。冒頭にマイナーな曲を持ってくるのはいかにもショパンの「おたく」であった彼女らしい選曲。4曲のスケルツォはやはり爆裂していて、切れば血の出るような演奏(宇野功芳風に)。1番は後半までわりに普通の演奏が続くが、最後の2ページで突如ブチぎれ。不協和音を必要以上に強調したグロ重いコーダを爆走する。2番も相変わらず速いが、聴いていてあまり速さを感じない不思議な演奏。最後の最後で大きなミスがあるのはご愛嬌というやつか。3番も威勢がよいが、中間部は例外的に遅めのテンポを取っている。4番は4曲の中でも特に限界に挑戦していて、最後の猛スピードで駆け上がる上昇音階は見事と言うほかない。 後に続くのは4曲のワルツと幻想ポロネーズ。op.18は意外とまともな演奏だが、同音連打が素早くキレがある。34-1も普通の部類だが、最後のほうの上昇音型で1オクターヴ延長したり低音を炸裂させてみたり、かなり派手に暴れている。34-3はとにかくメチャクチャに速くて全盛期のブーニンを彷彿とさせる演奏だ。だが一番の衝撃はあまりに自由すぎるop.42で、34-3以上に無茶苦茶に速いテンポをとっていて何を弾いてるんだかよくわからない。多分本人もよくわかってない。幻想ポロネーズは相変わらず中間部がせかせかとしていて納得いかないが、コーダの速度は中庸といった感じ。 プログラムの大トリをつとめるのは2つのピアノソナタ。葬送ソナタは1・2・4楽章ともに爆裂している。とくに1楽章は史上最速の部類ではないか? 葬送行進曲も熱っぽく鍵盤を叩いているが、テンポの面では遅くなりすぎず、やや冷静さを見せている。なお、1楽章のリピートは例によって省略。 第三ソナタは70年のライヴに比べるとまだ理性的。1楽章のリピートは葬送ソナタと同様に省略。3楽章も相変わらず速め。終楽章はあまり爆発していないが、右手の走句は70年より鮮やかで、なにやら楽しげな印象を受ける。熱狂した聴衆が最後の和音の鳴り終わる前に拍手を始めていて、余韻にひたる時間はない。 |
CD18-19:サクラニツカヤ・イン・ワルシャワ ショパン:マズルカ集 他 | |
(1)マズルカ第1番 嬰ヘ短調 op.6-1 1:59 1973年6月3日、ワルシャワ・フィルハーモニック・ホール |
マズルカが曲目の大半を占めるという、普段の暴力的な彼女からは想像もつかない内省的なプログラムだが、マズルカもここまでくると一周回って暴力的ではないか? なにせマズルカを1時間以上も聴かされるのである。たとえワルシャワの聴衆といえども退屈したり集中の切れてしまったりする人がいるだろう。そのせいかはわからないが、ところどころで子供の泣き声が聞こえるし、聴衆の派手なせき込みも多い。それにしても、作品番号の若いマズルカがごっそり飛ばされているのはちょっと気になる。これだけ弾いたんだから全部弾けばいいのに。 最後の葬送ソナタではやっといつもの暴力演奏が始まる。1楽章は65年の演奏より緩徐部分を遅めに弾いているが、フォルテでの打鍵は65年より鋭い。聴いていて耳の痛くなるほどで、ちょっと頻繁に聴けるようなものではない。葬送行進曲は前よりも速くなっている。でも6分ジャストはさすがにちょっと先走りすぎ。アンコールの『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ』は暴力的ではないが後半ポロネーズは案の定キレッキレの指さばきである。 |
CD20:サクラニツカヤ・イン・ミンスク スクリアビン&ショパン:ピアノ協奏曲 | |
ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 op.20 25:42
ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 op.11 35:21 レフ・マルキス(cond)、ベラルーシ国立交響楽団 (1)-(6) |
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CD21-22:1968年1月の演奏会 リスト:『巡礼の年』、ピアノ・ソナタ 他 | |
『巡礼の年』 1968年1月11日、モスクワ音楽院大ホール |
リストは彼女のようなピアニストとは相性のよい作曲家のはずだが、この日の演奏は全体的におとなしめである。『葬送曲』はオクターヴ連打の部分は強烈だが、計算されている感じでタガの外れた雰囲気ではない。続く『半音階的大ギャロップ』と『タンホイザー』序曲ではさすがに熱が入ってきているが、特筆に値するほどではない。ロ短調ソナタも緩急のバランスが細部まで計算されている。音楽としての完成度は高いがサクラニツカヤらしくはない。アンコールの練習曲もわりあい常識的な演奏だが、『波の上を渡るパオラの聖フランチェスコ』に来て最後の最後でついにタガが外れた。寄せる波を描いた左手はやたら荒れ狂い、時折余計に波が打ち寄せたりする。その後も音楽は立派な爆演状態になって突き進み、コーダ前のLentoではおそらく彼女オリジナルの珍妙なフレーズが炸裂したりしている。最も唖然としてしまうのがラストで、やっと終わったか、と思った瞬間ド派手なアドリブをガリガリ弾きだし、さらに余計に波が数回打ち寄せてから終わる。あまりにも理解不能。ちょっと過剰な付け足しである。 |
CD23-24:1972年11月の演奏会 リスト:『パガニーニによる超絶技巧練習曲』、ハンガリー狂詩曲 他 | |
『パガニーニによる超絶技巧練習曲』 S.140(1838年版)(パガニーニ=リスト)29:10
(17)『結婚行進曲による変奏曲』(メンデルスゾーン=リスト=ホロヴィッツ)6:03
『軍隊行進曲』 D733, op.51 (22)『魔王』 D328, op.1(シューベルト=リスト)5:11 (5:06) 1972年11月3日、モスクワ音楽院大ホール |
まず冒頭の『パガニーニによる超絶技巧練習曲』が驚愕の選曲である。おそらく女性による演奏では世界初録音ではあるまいか? よく演奏される改訂版の1851年版ではない。1838年版、つまり初版である。あまりにも難しすぎて世界で7人しか録音した者がいないというあの『パガニーニ(以下略』である。これをライヴで取り上げるというだけでもすでに胡散臭いのに、それを女性が弾くというのだからさらに胡散臭い。この人、ほんとに女の人なの? というのはおそらく誰もが口にするところの疑問であろう(一応、サクラニツカヤには12度の和音を楽につかめたという神話めいた話があるので身体的には大したハンデはなかったはずだが、そもそも12度が楽に届く女性なんているの? っていう話である。ここはサクラニツカヤ男性説or別人の変名説を強く推していきたい)。 葬送曲は68年より荒っぽいが、テンポは中庸になっている。続くハンガリー狂詩曲2番はトンデモ演奏。衝撃の瞬間はフリスカの序奏部の後であった。左手パートに突如炸裂するゴワッシャア!!! という強烈な轟濁音。派手なミスタッチともとれるが、これは多分確信犯。おそらく手のひらで鍵盤をぶっ叩いているのだろう。さらにローゼンタール作のカデンツァからエンディングでもどっかんどっかん轟濁音を振り下ろし、音楽は前代未聞の轟濁音(騒音)に包まれる。人によってはクラシックに対する固定観念がガラガラと音を立てて崩れ落ちてしまうであろう、あまりに危険な演奏。 ハンガリー狂詩曲6番はまだ冷静な演奏だが、これ見よがしに低音を強調するのはお世辞にも上品とはいえない。左手でオクターヴを連打するあたりから急に速くなり、終結部は案の定騒音演奏。8番以降はまあ普通の部類。1851年版の方の『ラ・カンパネラ』も終結部はうるさくてちょっと聴いていられない。 アンコールではホロヴィッツ編曲作品の派手派手ショーピースが並ぶ。例によって低音は節操なくかき鳴らされるが、これに限ってはそういう演奏を意図して作られているのでこれぐらいがちょうどいいのかもしれない。それにしても、ソヴィエト連邦のど真ん中でアメリカの愛国歌を演奏するというのは、この時代にしてみればとんだ「非国民」というやつではないのか?(実際ブーイングを受けたことも数知れないという話だ) タウジヒ編の『軍隊行進曲』もハンガリー狂詩曲2番と同様に轟濁音が炸裂する演奏でちょっとうるさい。最後の『魔王』も同傾向……かと思いきや、一転してとても淋しげ。ほとんどの音がメッゾ・フォルテ以下で弾かれていて、最後の2音は文字通り消え入るように終わる。やはり聴衆もしばらく唖然としていたようで、かなり間があってからまばらな拍手。いったい何があったんだろう。 |
CD25:1974年5月の演奏会 ベルリオーズ=リスト=ペトロフ:『幻想交響曲』 他 | |
『幻想交響曲』 S.470(ベルリオーズ=リスト=ホロヴィッツ)41:37
『ハンガリー狂詩曲』 S.244 1973年5月9日、モスクワ音楽院大ホール |
このライヴもなかなかマニアックな選曲から始まる。ニコライ・ペトロフ&リスト編の『幻想交響曲』。リスト編ではない。よくこれをライヴで弾こうと思ったものだ。全曲を通してとくに変な演奏はしていないが、5楽章の「鐘」の音だけ、物足りないと思ったのかしら、3オクターヴも下げられている(通常のピアノでは3オクターヴ下げると鍵盤が足りなくなってしまうので、ベーゼンドルファーを使っているのだろう)。この人はとにかくオクターヴ下げてみないと気が済まないのだろうか? 後半のハンガリー狂詩曲2番は72年に比べればまだまともだが、反対に6番は前より凶暴になっている。とにかく序盤から速くて、特にフリスカのオクターヴ連打はスピード・精度ともに史上最強の部類。アルゲリッチやホロヴィッツなどはもはや敵ではない。 |
CD26:1971年5月の演奏会 モーツァルト&シューマン:ピアノ協奏曲 | |
ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466 31:57
ピアノ協奏曲 イ短調 op.54 30:58 キリル・コンドラシン(cond)、ソヴィエト国立交響楽団 (1)-(6) |
珍しいモーツァルトのレパートリー。特にピアノ協奏曲では唯一のレパートリーである。これがなかなかの問題作で、特に1楽章はガンガンと鍵盤を叩きつける汚い演奏。抒情もへったくれもない弾き方である。すくなくとも、モーツァルトの魅力はこの演奏では感じられない。3楽章も同傾向だが、1楽章に比べるとまだおとなしいようだ。 だが、後半のシューマンがモーツァルト以上の怪演だった。まず1楽章の入りからして何かがおかしい。遅い。遅すぎる。さすがにこのテンポはないだろう。その後も変幻自在のルバートを駆使してオケを翻弄しまくる。コンドラシンをはじめ団員はみな戦々恐々といった感じで、ピアノのテンポ変化についていけず随所で管が飛び出したり遅れをとったりする。2楽章になるとかなりまともになるが、3楽章ではまた地獄的演奏を展開する。ただし今度は速い。メチャクチャ速い。9分4秒というあまりに非常識な短さ。とくにラスト1分の怒涛の追い込みは近所迷惑をかえりみず音量を最大にして聴いてほしい。暴君サクラニツカヤの恐るべき記録である。 |
CD27:1964年2月の演奏会 モーツァルト&ショスタコーヴィチ:2台ピアノのための作品集 | |
2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448 25:46
交響曲第10番 ホ短調 op.93 47:27 モイセイ・ヴァインベルク(pf)(1)-(7) |
彼女の録音では唯一となる2台ピアノによる演奏会。モーツァルトとショスタコーヴィチという見るからにいい加減な組み合わせだが、モーツァルトは彼女が生涯にわたってほとんど興味を示さなかったレパートリーである。この2台ピアノのソナタを含め、彼女の弾いたモーツァルトは3曲しかない。 前半のモーツァルトは端正な仕上がりの名演。第二ピアノのヴァインベルクは狂犬サクラニツカヤの扱いをよくわかっているようで、手綱をしっかと握って彼女が暴走しないようにうまく舵を取っている。理性と野性とのバランスのうまくとれた名演といえるだろう。 後半はショスタコーヴィチ本人の編曲による交響曲10番のピアノ連弾版というかなり珍しい選曲。ヴァインベルクは作曲者自作自演でも第二ピアノを担当したピアニストなので手慣れたものである。1楽章は何事もなく終わり、勇ましい2楽章も少しどきっとする瞬間があるものの、全体的にはヴァインベルクの制御下にある。ところが3楽章に入ると徐々に雲行きが怪しくなってくる。飼い主を振り払って喉元に食らいつこうとする狂犬と、それをなんとかしてやりすごすヴァインベルク。同時に今までになかった感情の噴出。そして4楽章、ついに狂犬は手綱を引きちぎりヴァインベルクの喉元をとらえた! ……正直こういうことは独奏のときにやってほしいものだ。コンチェルトや連弾でもそれをやるのはちょっとどうかと思う。 |
CD28:1963年1月の演奏会 プロコフィエフ&チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 | |
ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op.26 26:02
ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 op.23 30:16 エフゲニー・スヴェトラーノフ(cond)、ソヴィエト国立交響楽団 (1)-(6) |
前半のプロコフィエフは一般的に最速とされるアルゲリッチを一瞬で抜き去る爆速演奏。怒気を含んだピアノの威圧がすさまじい。圧倒的な推進力であっという間に終わる1楽章。緩徐楽章の第2楽章で緊張感が切れないのも素晴らしい。3楽章の追い込みもかなり過激。ライヴでここまでやるのは大したものだと思う。 後半のチャイコフスキーは彼女のロシアデビューを飾った曲で、十八番中の十八番だった曲。こちらも序奏からかなり速めで、前半のプロコフィエフの異常なテンションの高さをそのまま引きずっているようだ。「えっこのテンポで始めちゃって本当に大丈夫なの?」という感じ。1楽章はのっけから荒々しく、すべてをフォルテシモで弾いているような印象がある。最後のオクターヴ進行で減速せずにインテンポで駆け抜けるのはなかなか好印象。2楽章でも緊張の糸が切れない。3楽章までくるとオケも崩壊寸前といった感じ。ここまで速く弾かれると、この終楽章は舞曲のような趣を呈する。ときおり左手で炸裂する暴力的な低音は決して上品ではないが、この曲では有効な弾き方だろう。フィナーレも高速。特にコーダの下降は史上最速ではないか? 最後の「リストの半音階」は案の定1オクターヴ上に延長して弾いていて、そのアドリブに対応できなかったオケが盛大に崩壊している。こんな演奏を毎回やられてはたまったものではない。彼女の無茶なアドリブに毎回付き合ってあげていたソヴィエトのオケ・指揮者と聴衆には敬意を表さなければならないだろう。 |
CD29-30:1969年10月の演奏会 ラフマニノフ&スクリアビン:ピアノ・ソナタ 他 | |
10の前奏曲 op.23
(14)前奏曲 ト長調 op.13-1 1:54 1969年10月9日、モスクワ音楽院大ホール |
プログラム前半のラフマニノフでは、前奏曲23-5とピアノ・ソナタの演奏が特に印象的。23-5はいつも通り爆発傾向にあるが、後半にはおそらく興奮のあまり自分でも何を弾いているのかよくわからなくなっている。第二ソナタは荒々しいがペダルの踏みかえがじつに見事。てっきりホロヴィッツ版で演奏しているかと思ったのだが、普通に1931年版(つまり作曲者本人による改訂版)を使っていたのでちょっとおどろいた。ただし、3楽章最後の交互の和音連打はホロヴィッツやスルタノフと同じように低音部に拡張していて過剰なパフォーマンス。 後半スクリアビンは全体的に妖艶。小品はわりと丁寧に歌っている。他方で3つのソナタや練習曲は昏く激しい。いつもの彼女の演奏が真っ赤な焔なら、このスクリアビンは青白く燃え上がる鬼火である。特に第五ソナタは地の底から響くようなものがある。というかちょっと霊障がありそうだ。アンコールの『たよりなさ』は穏やかな曲調の中に不気味さが怪しく光る。他の曲もそうなのだが、彼女のスクリアビンは聴いていて情緒不安定になる。何らかの精神疾患をお持ちの方には絶対にお薦めできない。本気で(決して冗談ではない)。 |
CD31:サクラニツカヤ・イン・パリ ラフマニノフ:2つのピアノ協奏曲 | |
ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18 33:11 エフゲニー・スヴェトラーノフ(cond)、フランス国立放送管弦楽団 (1)-(6) |
過去にスペクトラムから出たことのある演奏。オケを置いてけぼりにすることの多い彼女だが、ここでは指揮者とぴったり息が合っているようだ。阿吽の呼吸といってもよい。2番1楽章冒頭の和音は地鳴りのような感がある。スヴェトラーノフは客演のはずだがオケに遠慮がなく、強奏はかなり鋭角的。すこし耳に悪いほどだ。3楽章は例にもれず一気呵成といった感じだが、いつものような暴走ではない。お互いに相手の音をよく聞いている。フィナーレの一番盛り上がるところでピアノの弦の切れる音がはっきり入っていて少し残念だが、大勢に影響はない。 3番はさらに熱狂している。1楽章のカデンツァは当然のようにossia版(大カデンツァ)を弾いている。めちゃくちゃ難しいはずなのにすんなり流れていってしまうので、逆に不自然さを感じてしまう。低音の強調の仕方はちょっと下品ともいえる。省略は無し。3楽章はカット無しの演奏では最速付近に位置するが、何をとっちらかったのか、再現部に入るところで数小節全然べつの調で弾いてしまっている。ただこちらも大勢に影響はない。フィナーレではオケの最後の音が鳴るのとほぼ同時に聴衆が拍手を始める。再生時間と実際の演奏時間との差は約1分だが、これはすべて拍手の時間である。 |
CD32:1964年11月の演奏会 チャイコフスキー:2つのピアノ協奏曲 | |
ピアノ協奏曲第2番 ト長調 op.44(チャイコフスキー=ジロティ) 34:16
『アンダンテとフィナーレ』 op.79(チャイコフスキー=タネーエフ)20:42 エフゲニー・スヴェトラーノフ(cond)、モスクワ放送交響楽団 (1)-(6) |
この演奏にかんして取り立てて言うことはない。演奏それじたい以外でいうなら、コンチェルト2番はジロティ版(チャイコフスキーの意図から大きく逸脱しているとされる)を用いているのがすこしイケ好かないと思わないでもない。またコンチェルト3番では、こんにちではほとんど演奏されることのない『アンダンテとフィナーレ』を1楽章に続けて演奏しており、「音楽は完結まで含めて演奏されるべき」というサクラニツカヤの強いこだわりを感じさせる。 |
CD33-34:1963年2月の演奏会 シューマン、モーツァルト、シューベルト | |
『色とりどりの小品』 op.99
ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K.310 14:16
『さすらい人幻想曲』 ハ長調 D760 op.15 18:25 1963年2月25日、モスクワ音楽院大ホール |
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CD35-36:1964年9月の演奏会 ドビュッシー、サティ、ラヴェル 他 | |
組曲『ベルガマスク』 15:24
『ジムノペディ』 8:10
組曲『鏡』
『ペトルーシュカからの3楽章』 16:58 (17)東洋的幻想曲『イスラメイ』 8:26 (8:08)
イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971 11:50
『無言歌集』第6巻 op.67 (22)前奏曲とインヴェンション 5:10
(23)『ヨハン・シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」の主題によるアラベスク』
(24)『ウィーンの謝肉祭』(『ヨハン・シュトラウスの主題によるユモレスク』) 1964年9月12日、モスクワ音楽院大ホール |
演奏会の前半は珍しいフランスもの。サクラニツカヤが生涯で最も苦手としたレパートリーである(というか、そもそも興味がなかったらしい)。苦手な中から選びとっただけあって基本的に丁寧に弾かれており、いつもの異常な解釈は影を潜める。とくに『ベルガマスク』は不思議な演奏で、物理的なテンポのうえではかなり速いのに、体感ではまったく速さを感じない。『ジムノペディ』は情感豊かで常識的であるし、ラヴェルの『鏡』についても細部まで細心の注意を払って弾かれている。 ……だが。『夜のガスパール』が始まったとたんに状況は一変する。要するに「いつものアレ」である。このまま何事もないと信じた私がばかだった。この曲ではとてもフランス音楽とは思えない野太い咆哮が随所で聴こえてくる。あまりにも酷悪なデフォルメである。他の曲では許されても、いくらなんでもフランス音楽でこれはだめだろう。やっぱりこの人はフランス音楽を生涯理解できなかったんじゃないかしら。 フランス音楽が終わると次はすこしばかりのロシア音楽のターン。『イスラメイ』のキレは相変わらずだが、中間部のテンポは速すぎなくて65年ライヴより好印象。アンコールで申し訳程度に挿入されるカジャーエワの「前奏曲とインヴェンション」は見るからに現代系の曲なのだが、はっきり言って理解不能。というか、まことに失礼ながら、カジャーエワという名前じたい私は初めて聞いた(チャイコフスキー・コンクールの課題曲になったこともあるそうなので、あちらの国ではそれなりの有名人らしい)。続くシュツル=エヴラーの「美しき青きドナウ」は抜群の切れ味。ジョセフ・レヴィーンもかくや、と思わせる演奏である。 この時点ですでに残すところローゼンタール1曲だけになったのだが、ところがこれが例によって最大の問題だった。ところどころにサクラニツカヤの手が入っているが、中間部の盛り上がりのところでさらにヒートアップ。ワルツなのに二拍子を刻んでみたり、オクターヴ進行を余分に足してみたりとまさにやりたい放題。最も罪深いのが最後で、やっと終わったか……と思った瞬間、もはや定番の派手々々アドリブフレーズをガリガリ弾き始め、15秒ほど鍵盤上で暴れまわってから終わるという暴挙を展開する。こんな演奏をされては、シュトラウスとローゼンタールは天国で泣いてしまうんじゃなかろうか。 |
CD37-38:1976年5月の演奏会 スヴェトラーノフ、ルデュック、シチェドリン、カバレフスキー:ピアノ協奏曲 | |
ピアノ協奏曲 ハ短調 21:10
ピアノ協奏曲 op.31 19:29
ピアノ協奏曲第2番 21:32
ピアノ協奏曲第2番 ト短調 op.23 23:45 エフゲニー・スヴェトラーノフ(cond)、ソヴィエト国立交響楽団 (1)-(11) |
サクラニツカヤの演奏だが、これでもかというほどに現代系の曲でかためられている。最初のスヴェトラーノフはまだ聴けるのだが、次のルデュックにいたってはほとんど意味不明。シチェドリンもちょっとよくわからない。というかルデュックって誰だ。 曲は全体的に意味不明だが、最晩年にいたってなお新しい曲に挑戦する体力があるのは素直に評価に値すると思う。私の記憶が正しければルデュックは1972年が初演だし、スヴェトラーノフにいたっては前年の1976年が初演だったはずだ。彼女は発表されて1年にも満たない曲を演奏していたことになる。 |
CD39-40:スタジオ録音集(1946-59) ショパン、プロコフィエフ、タネーエフ | |
(1)スケルツォ第1番 ロ短調 op.20 7:18
ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 op.83 19:25
ピアノ五重奏曲 ト短調 op.30 43:19 ボリショイ劇場弦楽四重奏団 (9)-(12) |
ずっとサクラニツカヤのスタジオ録音はないと思われていたが、じつはあった。とはいうものの、この音源は英APRで既出のほか、「ジョイス・ハットー」の件で有名なConcert Artists社からも別人名義でこっそり出ていたことがある。もともとは本家本元のメロディヤ・レコードからLPで出ていたものだが、いつまでたってもメロディヤがcd化してくれないので痺れを切らしたAPRが復刻に踏み切ったという経緯があった(ちなみに原盤LPはかなりの高額で取引されている。3万円はくだらない)。この2枚組の唯一のスタジオ録音がAPRから出たときは、とにかくその変態的な指さばきに驚かされたものである。 前半の録音は1959年のもの。余談だが、この録音にかんしては「恐るべき集中力」ですべての曲を1回目のテイクで仕上げ、わずか1時間弱でアルバムを完成させたという半ば伝説めいた逸話がある。最初のスケルツォ2曲はかなり速めのテンポだがライヴに比べるとかなり冷静。2番の最後はさすがにミスしていない。 このスタジオ録音最大の衝撃が英雄ポロネーズで、演奏時間たったの5分という他の追随を許さない異常演奏。ちなみに省略は一切していない。かなり速めのテンポで始めるのだが、この部分だけならアシュケナージもほとんど同じタイムで弾いている。本当にすごいのは左手オクターヴ連打が始まってからで、連打パートをありえないスピードで突破したかと思うとその後の緩徐部分もそのままのテンポで突っ込んであっという間に終わってしまうので呆れるほかない。続く幻想ポロネーズはかなり冷静。細部までテンポやフレージングが計算されている。ライヴと違って中間部はじっくり弾かれているので個人的には好印象。コーダでの追い込みには異常なキレがあり、動と静の対比が鮮やかである。バラード4番もライヴより丁寧に歌っていてよい。プロコフィエフのソナタはインテンポで冷静だが3楽章はちょっとペダル過多な印象。最後のタネーエフも丁寧に弾かれた演奏だが奇抜なところはない。音質は年代のわりにかなり良好。 |
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