クレジット
タイトル: the report on spc-0927
著者: ©︎Ikr_4185
作成年: 2014
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本人提供の肖像写真。 1912年頃にモスクワで撮影。 |
アイテム番号: SPC-0927
オブジェクトクラス: Euclid
特別収容プロトコル:spc-0927は福島県██市██字██にある207m平方 (247yd平方)ほどの二階建ての家屋に住んでいます。住居周辺に最低2名以上の職員を配置し、常に交代で警備します。また警備にあたる職員はロシア語か日本語に堪能である必要があります。spc-0927は我々に対して概ね協力的な態度を示していますが、その性質のため収容は不可能です。spc-0927が今までに職員を殺傷したことはありませんが、万が一攻撃を受けた場合は甚大な被害が予想されるため、警備にあたる職員は護身用の武器を携行することが認められています。
説明: spc-0927は色白の日本人女性と思しき見た目をした人型実体で、身長172.7cm (5'6")、体重48kg (105lbs)、10代後半から20代前半の外見で左利き、白い頭髪を持ちます。spc-0927は主に"森 桜子"(モリ サクラコ)や"Лесава Генриховна Сакраницкая" (ラテン文字転写例:Lesava Genrikhovna Sakranitskaya)といった名前を名乗っていますが、spc-0927はいずれも本来の名前ではないことを示唆しています。spc-0927は外見上は一般的な日本人女性ですが、老化しない、四肢や頭部が切断されても再生する、物体の温度を操作する能力を持つといった異常性があります。また偶発的に発生した事案[編集済み]によって現実改変に耐性を有することも判明しています。spc-0927は日本の古武術に精通しており、特に抜刀道は七段の腕前であることを自称しています。自身の流派はタイ捨流であると主張していますが、当該流派と一致しない形も多く見られ、真偽は不明です。spc-0927は自身が紀元前の生まれであることを主張しており、少なくとも2,500万年ほど前の生誕であるとしています。使用言語は現代日本語や現代ロシア語、現代ポーランド語をはじめとして古英語やブリトン語、古ノルド語、古ギリシャ語、古代日本語、アイヌ語、琉球語などといった古代言語まで多岐にわたりますが、特に現代日本語と現代ロシア語での会話を好みます。印欧祖語(とspc-0927が主張する言語)の使用も確認されていますが、当該言語は一切の資料が現存しないため主張の真偽は不明です。またspc-0927は自身の母語はいかなる人間言語にも該当しない未知の言語であると供述しており、spc-0927の協力による言語分析の結果、その語彙や文法規則は記録が現存するいかなる人間言語の系統にも属さないことが判明しています。
spc-0927は、2001年7月14日に東京都千代田区██ ██町のカレー店█████において昼食を取っているところを発見されました。当初spc-0927の異常性はまったく未確認でしたが、spc-0927が既に死亡しているはずの人物に酷似していたことや、高等学校に何度も入学と卒業を繰り返していることから異常性が発覚しました。それまでspc-0927が未確認であったことは非常に不可解でしたが、のちに日本国の宮内庁が隠蔽に加担していたことが判明しました。spc-0927は我々に対して基本的に協力的ですが、その異常な身体能力と束縛を嫌う性質のため、我々はspc-0927を収容する手段を持ちません。
spc-0927は先述のものを含め多くの異常性を有します。spc-0927は四肢や頭部を切断されても再生し、脳に損傷を負った場合であっても脳機能に障害は起こりません。ただし、spc-0927は「人間と同等の痛覚がある」と供述しています。spc-0927は食事を必要としませんが、人間のそれと同種の食事を取る習慣があります。spc-0927が本人の主張通り紀元前から生きているかどうかは不明ですが、我々の監視下に入って以降、一切の身体的老化が確認されていません。spc-0927は通常の人間としては考えられない異常な身体能力を有しており、また任意の物体の温度を操作する超常的な能力を有します。我々はこのためにspc-0927を収容する手段を持ちませんが、spc-0927がこれらの能力を行使して職員に危害を加えたことはありません。偶発的に発生した事案[削除済み]によって、spc-0927は現実改変に対して非常に強力な耐性を持つことが判明しています。spc-0927の平熱は摂氏13度前後ですが、それによって身体機能に支障をきたしている様子はありません。spc-0927は記憶力が極端に悪く、知性に乏しいように振舞いますが、実際はすべて演技です。非常に高い知能と限りなく映像記憶に近しい記憶力を有しているため、spc-0927の前で彼女の悪口を言うことは推奨されません。また、spc-0927は異常な聴力と視力とを有するため、少なくとも彼女の周囲半径100m (328ft)四方においてspc-0927の名誉を棄損する行為は推奨されていません。
【警告: 以下の略歴はすべてspc-0927の供述によるものであり、大部分の記述は彼女の証言以外に一切の根拠が存在しません。虚偽の記述が含まれる可能性に常に注意してください。 】
少なくとも2,500万年前
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生誕。9月27日生まれと主張していますが、現在の暦と一致するかどうかは不明です。spc-0927の他にも同族が存在しており、小さな部族 (spc-0927-a)をなして生活していたとされます。spc-0927はspc-0927-aを現代日本語で"妖怪"に相当する存在だとしています。当時spc-0927-aは現存するいかなる言語とも一致しない独自の言語を話しており、これがspc-0927の母語とされます。またこの言語は便宜的に"slæpend lēo" (古英語で"sleeping lion"の意)と呼称されます。spc-0927-aは現代の人類と同等の知能、知性を有していましたが、食事を必要としなかったため農耕技術はあまり発展しませんでした。しかしながら、spc-0927曰く「クソ暇」だったため主に詩を中心に文芸が発達しました。
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23,000年前
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この頃までには人類は農耕を始め、人類の総人口がspc-0927-aに追いついたとされます。
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前3000年頃
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シュメール文明成立。この時期からspc-0927-aの言語は人間言語におされ始め、前2700年頃にはspc-0927-aの若年層の間では人間言語の使用が一般的となったとされます。またこの頃には人類の総人口がspc-0927-aを上回り、それにともなって過去のある時点で何らかの理由でspc-0927-aから分岐していた人類を主食とする一派(spc-0927-b)が台頭を許しました。spc-0927-bは食事を必要としましたが、spc-0927-aよりも非常に強力な身体能力を有していたとされます。
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前2300年頃
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アッカド王国成立。この頃までにspc-0927-aはspc-0927-bに駆逐され、spc-0927-aの個体は大半が死滅したとされます。このため現代に生息する異常存在は大多数がspc-0927-bの末裔です。以降、残存したspc-0927-aは彼ら自身のことを"rihtlǣrende" (orthodox)、spc-0927-bを"misgelyfed" (heterodox)と呼称するようになり、両陣営は長年に渡って鋭く対立し続けました。なお、spc-0927-bの公的な歴史においてspc-0927-aの存在は抹消されており、spc-0927-aに関する知識自体が存在しません。また、spc-0927-aの個体の大半が死滅したことにより、彼らの言語は口語としては死語となりました。
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前1200年頃
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人口増大によって食料難に陥ったspc-0927-bが人類文明に大規模侵攻を開始。これによってヒッタイトやミケーネ文明などが崩壊したとされ、この出来事は現代で"前1200年のカタストロフ"として知られています。この侵攻でspc-0927-bは一時的に食料を獲得しましたが、結局は自らの首を絞める結果となり、一旦勢力を弱めることとなりました。
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前8世紀頃
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spc-0927、ギリシャに定住。
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前440年頃
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古代ローマで飢饉。これによる人類の人口減少でspc-0927-bは再び打撃を受け、この頃から、人類におけるヴィーガン運動に相当する思想や、共産主義の思想が主張されるようになったとされます。
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前2世紀頃
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ギリシャ帝国滅亡。spc-0927、ブリトン諸島に定住。
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紀元0年
11世紀頃
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イングランドでノルマン・コンクエスト。spc-0927、日本列島に定住。
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18世紀頃
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spc-0927、この頃からヨーロッパ地域を放浪。放浪時代にフレデリック・ショパンやフランツ・リストにピアノ演奏を習ったと主張していますが、彼らにそれらしき門人がいた記録はありません。
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19世紀頃
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ロシア地域に定住。しかし、1917年にロシア革命が起こるとその動乱を逃れて一時的に日本に居住したとされます。この頃から"Lesava Geinrikhovna Sakranitskaya"あるいは"Lesawa Sakranitska"という偽名を名乗るようになったとされます。spc-0927の供述するところによれば、"Лес" (ラテン文字転写例:Les)はロシア語で"森"を意味する単語であり、姓の"Sakranitskaya"は日本語の"サクラ"を変形したものであるとされます。父称(ミドルネーム)のGeinrikhovnaは親交のあったゲンリヒ・ネイガウスの名を借用したとされます。
ロシア時代にはspc-0927はプロのピアノ奏者として活躍し、ロシア音楽や現代音楽の熱心な擁護者として知られていました。spc-0927は上述のゲンリヒ・ネイガウスを筆頭に、その息子のスタニスラフ・ネイガウスやドミトリ・ショスタコーヴィチ、エフゲニー・スヴェトラーノフなどの音楽家と親交を結びました。spc-0927がピアノ奏法をラウル・コチャルスキやモリツ・ローゼンタール、ゲンリヒ・ネイガウス等に師事したとする伝記がありますが、そのような記録は一切存在しません。
また、この時代の彼女が著名人であったことや、写真技術の普及などがあり、この時期以降のspc-0927の動向については写真をはじめとする多くの物的証拠が残されているため一定の信憑性が認められます。
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1977年
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ロシアを離れ、以降再び日本に定住。
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2001年
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我々サメ殴りセンターにその存在を確認される。
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【文章ここまで】
ページリビジョン: 28, 最終更新: 11 Jun 2022, 17:53 (764 days 前)