リサーヴァ・サクラニツカヤ

サクラニツカヤ本人とされる写真だが、別人の説が有力。
リサーヴァ・ゲンリホーヴナ・サクラニツカヤ(ロシア語: Лесава Генриховна Сакраницкая、ラテン文字転写例: Lesava Genrichovna Sakranitskaya、1893年9月27日 - 1977年1月24日)はロシアのピアニスト。
略歴[編集]
ゲンリヒ・ネイガウスやウラディーミル・ホロヴィッツに匹敵するともいわれるが、その経歴の多くはいまだ謎に包まれている。出自の一切が不明で、生没年についても実際のところは定かではない。ショパン直系の孫弟子であるラウル・コチャルスキやゲンリヒ・ネイガウスに師事したとする風説があるが、記録には残っていない。リサーヴァ・サクラニツカヤという名も芸名であったらしく、本名は不明。写真を嫌ったため顔も伝わっていないが、ロシア系の顔立ちではなかったとされ、「青白い顔をした東洋人」[注釈 1]であるとされる。実在すら疑われ、幽霊演奏家であるとする評論家も多い。
ロシア国内における最初の演奏記録は1911年。曲目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番で、リハーサル中に失神したピアニストの代理であった。弾き振りではなかったが、序奏の段階で指揮者から主導権を奪ったため、終始ほとんど弾き振りの状態であったという。
演奏会においては非常に精力的に取り組んだものの、一切の商業録音を残さなかった。加えてロシア国外での演奏を行わなかったこともあって死後名声は急速に衰え忘れ去られたが、近年英APRや露Vista Veraによって放送録音が発掘され、再評価の機運が高まっている。それ以外ではジョイス・ハットー事件[注釈 3]で悪名高い英Concert Artists社から彼女の録音が架空ピアニストの名義で発表されたことがあり、結果的に彼女の再評価に貢献することとなった。既出の録音に関しては別表を参照されたい。
演奏[編集]
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彼女の演奏を最も特徴づけたものは総じて速めのテンポ設定に叩きつけるような野性的で激しい打鍵[注釈 4]、そして「無敵の女」[注釈 5]とも称された超絶技巧である。現存する録音ではベートーヴェンのピアノソナタ29番やバーバーのピアノ協奏曲3楽章を指定テンポ[注釈 6]で演奏しており、その人間離れした技巧は十分に確認することができる。しかしながら、やや勢いに任せて弾き飛ばすきらいがあり、ときにより粗が目立つこともあった。[注釈 7]
レパートリーは基本的にはロマン派以降の音楽に限定され、特にショパンを好んで弾いた。しかし、かといってロマン派の音楽を手広く弾いているわけではなかった。ショパン以外のレパートリーでは全体的にロシア音楽・現代音楽を得意としたが、いずれの作曲家もきわめて断片的で、限られた曲だけを繰り返し弾く傾向にあった。また、主に長大・華麗な曲を好み、レパートリーにはピアノ協奏曲やピアノ・ソナタが多い。抒情的な曲は好みではなかったらしく、ショパンのマズルカなど、ごく一部の例外を除いては意図的に避けられているようである。
ロマン派以降の作曲家は精力的に演奏した一方で、バッハやモーツァルトといった古典派以前の音楽には関心がなかったようで、それらの音楽について殆ど理解を示さなかったし、理解しようともしなかった。[注釈 8]また東欧志向も非常に強く、一部の有名な楽曲を除いては、独墺系やイタリア系、フランス系の音楽にはほとんど興味を示さなかった。
エピソード[編集]

- 女性ながら巨大な手を持ち、12度の和音(ドから一オクターヴ上のソまで)が押さえられたという。
- いわゆる「爆演系」指揮者とは相性がよく、キリル・コンドラシンやエフゲニー・スヴェトラーノフとは頻繁に共演した。
- 実生活でのサクラニツカヤはいたって温厚な人物で、演奏中に見せるような激しさとは無縁の人物であったと伝えられる。
- 自由奔放な性格であったが、曲目にもその性格が表れており、モスクワの聴衆の面前でジョン・フィリップ・スーザの「星条旗よ永遠なれ」(ホロヴィッツ編)を演奏して顰蹙(ひんしゅく)を買ったことが何度もある。[注釈 9]
- 父称の「ゲンリホーヴナ」は「ゲンリヒの娘」(つまり父親の名がゲンリヒ)という意味で、奇しくもゲンリヒ・ネイガウスと同名ということになるが、単なる偶然の一致とされる。
- 語学に堪能であり、ロシア語のほかに古代ギリシャ語や古英語、日本語の読み書きができ、さらにはアイヌ語やブリトン語も話せたという。
- 彼女のレパートリーにはバーバーやヒナステラなど、こんにちであっても決して頻繁には演奏されない曲が含まれているが、これらの曲をかなり早い段階から取り上げていたことは注目に値する。
- 「彼女の演奏を聴いたことのない者はピアノという楽器の限界を知らない」とはショスタコーヴィッチの言葉。同ピアノ協奏曲1番の実演を目の当たりにしての評価だったとされる。
- 絶対音感の持ち主ではなく、調性を正しく認識していないことが多かった。客から「変ホ長調の前奏曲が良かった」などと褒められてもどの曲のことかわからず、考え込むことがよくあったという。
- 練習嫌いで有名で、最も極端なときでは一日に15分程度しかピアノを弾かなかった。
脚注[編集]
- ^ プロコフィエフの言葉。
- ^ 名目上の弟子はいたが、実際に指導していたわけではなかった。彼女はいつも決まって弟子たちに「あなたはすでに完璧なのだから必要ありません」と言い、卓球の相手ばかりさせていたという。
- ^ クラシック音楽史に残る詐欺事件。複数人のまったくの別人の演奏がジョイス・ハットー名義で発表された。
- ^ 宇野功芳には「アッチェランドすることしか能のない単細胞。突進するだけが取り柄の野蛮な獣といえよう」と評された。
- ^ ギレリスの言葉。
- ^ これらの曲は、作曲者指定のテンポで演奏するのは困難とされる。
- ^ サクラニツカヤ自身はミスタッチを気にも留めていなかったらしく、「音は一瞬ののちに渦の中へ消えていくもの。広大な河の流れの前ではミスタッチなどは些末なことなのです」という自己弁護の言が残る。
- ^ とくにバッハの前奏曲やモーツァルトのピアノ協奏曲の録音はとんでもない問題作である。演奏それ自体の良し悪しはともかくとして、作曲者の意図を汲もうとする姿勢がみじんも感じられぬことは間違いない。
- ^ 「星条旗よ永遠なれ」はアメリカ合衆国の愛国歌である。
関連項目[編集]
- ゲンリヒ・ネイガウス
- ラウル・コチャルスキ
- キリル・コンドラシン
- エフゲニー・スヴェトラーノフ
- ウラディーミル・ソフロニツキー
- スタニスラフ・ネイガウス
- エミール・ギレリス
- スヴャトスラフ・リヒテル
- ドミトリ・ショスタコーヴィッチ
- セルゲイ・プロコフィエフ
- セルゲイ・ラフマニノフ
外部リンク[編集]
- "Живой голос души"(魂より出づる声) - サクラニツカヤ録音発掘プロジェクト(ロシア語)